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2015年_合気道の稽古に思うこと_新竹道場_荒川秀貴

發表於 : 週二 4月 11, 2017 3:41 pm
michelle
荒川秀貴_20150802合氣杖.JPG
  合気道の指導スタイル、方針や内容は先生によりかなり違うのはご存知と思うが、今回はそれについて思うことを書いてみたいと思う。それには、まず、私の合気道の経歴を話すべきだろう。

  18才で出会いおよそ1年間、38才で再会・再開して以来26年、今は新竹で週3~5回の稽古をしている。新竹での合気道歴は洪先生のところで7年余り、馮先生のところで1年余りである。武少林のことをもっと早く知っていれば良かったと思う。日本では、46年前の合気会秋田市支部道場を始めとして、主に、ソニー合気会(12年)、小林道場(25年)、砂泊先生の万生館(7年)で稽古を積んできて、今は3段である。段位はほぼ気にしていないので昇段をさぼってきたからであるが、日本では私のような人は珍しくない。なお、修業年数が合わないのは掛け持ちでやっていた時期があるからである。また、合気会本部道場や尼崎の道場などで何回か稽古したこともある。

  今の私の合気道の動作の基本はまちがいなく小林道場で作られているが、理念の面では万生館での稽古が大きな影響を与えている。砂泊先生の合気道はまずは完全脱力ありきで、接触点に結び“入って”相手を動かす稽古を主に座って行う(足、立ち位置が使えない)のが特徴だろう。7年やっていても週1回では全くと言ってよいほど身についていないが、理念だけは身についたかと思う。少なくとも、リラックスした状態、相手とハーモナイズした状態の重要性の理解は。普段の稽古でもついつい筋肉力マックスの状態になってしまい、全く、実践できているとは言い難いが。筋肉はつけないほうが良い、と聞くとどう思われるだろうか?実際に万生館内で議論された話題である。実際、砂泊先生は痩せた小柄の方だったが、手をとった瞬間に横に転がされて何が起こったかわからなかった。もちろん、小林先生でも全く同じように座技呼吸法ではおもちゃのように手玉に取られるのだが、いつもいつも「力を抜け」と言われる稽古は万生館だけだった(他にもあるのだろうけど)。

  そして、馮先生の技も今後の私の合気道に大きな影響を与えるものと確信している。硬さも柔らかさも両方駆使する技は容易にまねできないが、それ以上に“武術”としての合気道にこだわって技を指導されている事で、今まで気づいていなかった、動きの意味や立ち位置なども含めて、武術としての合気道を勉強できているのがうれしい(体力的にはとても厳しいが)。それにしても、武少林の有段者の中心力(功夫?)の強いことよ。馮先生の指導のたまものなのだろうけど、筋肉力との相互作用があるのかどうかに興味がある。

  馮先生の道場で稽古を始めることになったきっかけは剣杖の稽古時間があったからだが、私は剣杖の稽古は合気道にとってとても重要なものだと思っている。武器を持たれたときに怖がっていて手がでないという意味合いだけではない。合気道は、少なくとも合気会系の道場では、ほとんど蹴りとパンチに対しての稽古は行わない。私はそれに対しても剣杖の稽古が有効だろうと思うから。また、理合、さばきの理解と稽古にも大変良いのではないだろうか。だが、剣杖の稽古時間はどの道場でもとても少ないのが実情である。

  私は、小林道場も万生館も洪先生の道場も馮先生の道場も好きだ。みんなそれぞれの特徴を持ち、なによりみんな楽しく稽古している。これからも年甲斐もなく腕力使いまくりの時もあるだろうが、力が衰えても技ができるように、また相手の動きに合わせて導くことができるように、80才でもまだ上達するように、楽しみながら稽古していきたい。好きこそ物の上手なれ、の心で無理せずに。

譯者:林心潔
我所認為的合氣道練習

  我想大家都曉得合氣道的指導方式、方針、內容會因老師的不同而有所差異。關於這些事,這次我想告訴大家我的看法,首先我來說說我學合氣道的經歷。

  18歲時初次接觸合氣道,差不多學了一年之後於38歲時又再次接觸合氣道。38歲開始接觸至今已26年了,目前在新竹一星期裡會有3~5次的合氣道練習。在新竹這段期間,我在洪老師那裡7年多,在馮老師那裡1年多。而對於武少林這地方,我有相見恨晚的感覺。我在日本時,於46年前最先是在合氣會秋田市支部道場,之後主要在Sony合氣會(12年)、小林道場(25年)、砂泊老師的萬生館(7年),我在這些地方累積練習的經驗,目前我的段數是3段。因為我不太在意段數,所以我也不太參加昇段考試;在日本很多像我這樣的人。還有為何練習年數算起來不一樣,是因為有時在同一期間我去了2個以上的道場。還有,在合氣會本部道場、尼崎道場…等,我也曾去練習過幾次。

  現在我的合氣道基本動作,無疑地是在小林道場養成的,但是我對合氣道的理念反而是受萬生館的影響很大。砂泊老師的合氣道首先一定是以放鬆不使力為前提,與接觸點連接(結び)入氣(入って)主要是坐著翻動對手這種技巧練習為其特色(不使用腳也不移動位置)。即使在萬生館這7年當中每週1次練習,我可說在技術上並沒有提昇,但是在理念上卻是扎下了根基。至少我了解到在完全放鬆的狀態下與對手合諧的重要性。一般的合氣道練習,很容易在不知不覺中將肌肉用到最極限,很難說他們可以實踐合諧的境界。如果我說「不要鍛鍊出肌肉來比較好」,各位覺得如何呢? 實際上,這也是在萬生館內熱烈討論過的話題。事實上,砂泊老師的體格是屬瘦小型,但是與他捉手瞬間突然被他翻轉到一旁時,你都不曉得到底發生了什麼事。當然小林老師也是一樣,他會使用「座技呼吸法」把你像玩具一樣在手中翻弄;而總是強調「放鬆、放鬆」的練習法只有萬生館。(也許有其他地方也是這樣)

  而馮老師的技巧對我的合氣道影響也很大。要自由自在地使用"柔"和"剛"是不容易的。在這之前我都沒有發現到其實這是一種結合武術的合氣道技巧;比如像動作的含意、站的位子...等等,可以學到結合武術的合氣道我覺得很開心(雖然在體力上感覺很吃力)。還有,在武少林裡有段者的中心力都非常強,也許是拜馮老師的指導所賜。合氣道與肌肉的相互作用是否有關係呢? 關於這點我非常好奇。

  我會在馮老師的道場開始練習,是結緣於因要練習劍杖的關係。我一直認為劍杖練習對於合氣道非常地重要。手拿著武器讓對方害怕以至於不敢出手,在合氣道裡拿武器的意義不僅僅如此而已。合氣道,至少在合氣會系的道場裡,幾乎不會有踢、打揍這樣的練習。而我覺得劍杖練習對合氣道練習上是很有效果的。而且對合氣道原理的理解、動作的理解和練習都非常有幫助。但是,實際上有在使用劍杖來練習合氣道的道場是非常少的。

  小林道場、萬生館、洪老師的道場和馮老師的道場,這些道場我都很喜歡。每個道場都有其特色,最重要的是可以開開心心地練習合氣道。覺得我自己已這把年紀有時還不服輸地拚命使力,希望以後即使體力衰退了也能技術更上一層樓,即使80歲了也還能進步,也希望在與對手對打時也能引導對方,一直這樣開開心心地學習下去。套句日本的諺語「好きこそ物の上手なれ(喜好出精巧)」,就是喜歡才會用心學習才會有好成果,絕對不要勉強哦!